経営理念を軸に創業してからを振り返り

会社始めた頃は、ただ何も考えずに、自分たちで考えたソフトウェアを、自分たちで作りたいだけでした。ただ、プログラミングをするのが楽しかった時期です。

その間iモードのヒットを横で見ていましたが、着メロや待受には興味なくという感じでした。

しかし、2001年に携帯電話にソフトウェアを配信できる規格「iアプリ」がはじまるということを聞き、アプリのアグリゲーションサービス「アプリゲット」をはじめました。その後、マルチメディアアプリのオーサリングサービス「スパイシードッグ」や、アプリ版のメーラやプラウザー「スパイシーカリー」を提供をしました。そのころは「アプリの総合カンパニーになる!」となんてことを言ってました。

2004年までは、アプリゲットの事業は、広告代理店経由で、金融やコミュニティ系クライアントの広告に依存していました。しかし、2004年春くらいに広告不況に陥り、売上が爆減。さらには夏には担当副社長I氏が抜けるという大ピンチでした。

そんな中、副社長マーさんと、インターンチームを結成して、広告代理店経由ではなくて、自分たちで販路を作ろうと決心。アプリのアグリゲーションサイトには、アプリを探しに来るユーザがたくさんいるのだからと、ゲームアプリの配信会社へアプリの広告の提案に駆けずり回りました。

最初は、月額300円というマイクロペイメントなサービスなんだから広告出せるわけないだろうという声もありました。しかし、副社長や、優秀なインターンの子たちが、三ヶ月近く毎日頑張って提案し続けた結果、少しづつ売れはじめました。さらそのあと、売上が倍々ペースで伸びはじめました。そのころは、直販に切り替え出した成功経験から、「待ちから攻め」を、経営理念というか、会社のスローガンとして掲げていました。

広告はバンバン売れるて、逆に広告在庫がないという嬉しい悲鳴があがっていたころでした。広告枠増やすために、無理やり2ちゃんねる風掲示板を増設してみたり、雑誌版アプリゲットを創刊してみたりしました。しかし、「アプリを探しに来るユーザ」だから「アプリの広告の効果がいい」から、広告クライアントのニーズがあったのです。そのため掲示板や雑誌は収益に貢献しませんでした。当時はプロジェクト別で採算が出せなかったので推測ですが、雑誌はトータル一億近く損を出しました。とはいえ、アプリゲット本体の収益は絶好調で、会社は余裕がありました。

しかし、モバゲーの台頭でアクションインセンティブ広告が流行り、アプリ配信会社向けの広告の失注が相次ぐようになってきました。2017年の春、受注額が突然10分の一になるという異変が起きました。そのストレスと僕のマネージメントのミスから副社長のマーさんは抜けることになりました。

ところが、雑誌情報の二次配信のためにはじめたドコモ向けの月額制会員サイト「アプリゲットDX」が、毎月倍増するようなペースで有料会員が伸び、広告事業の大幅な減収を上回る増収になりました。そのため、B2Bの広告営業部隊を潰して、アプリのアグリゲーション事業「アプリゲット」と、そこから人気が出たアプリの続編を有料で配信する「アプリゲットDX」のB2Cサービスを、メインにしました。

それをきっかけに、よりUGCにシフトしようという強い気持ちが働き「みんなの楽しい未来を創る」という経営理念をつくりました。

そこから数年、アプリのプラットフォーム「アプリゲット」、漫画のUGC「マンガゲット」に力を入れていましたが、収益の大半はゲームの有料配信ビジネス。そんな中売上規模に目がくらみ、流行りのソーシャルゲームを手がけました。投資のキャバをオーバーした上に、大ゴケの連発。結果的に一時期、約3億円の赤字と2億円の債務超過までになりました。

しかしながら、ソーシャルゲーム事業が、いいタイミングで売却でき、他の事業が絶好調だったので、いっきに業績回復。この時は相当に資本が強化されました。

ただソーシャルゲームに手を出していた間に、アプリのアグリゲーション事業はスマホシフトが遅れました。アプリゲットは、競合に遅れること2年の後発で、ゲームメディアにシフトしました。

ゲーム配信事業は、引き続きキャリア向けのアプリゲットDXと、スマホ向けの広告モデルと家庭用ゲーム機向けのダウンロード販売のチャリ走がメインでした。

このソシャゲショック後のV字回復から最近までは、売上・利益中心の心ここに在らずの経営だったような気がしまています。

過去振り返ると、挑戦した結果の失敗には意味がありました。でも、挑戦しない心あらずの経営の間は、残った利益以外は何も残らなかった失った4年間だったと反省してます。